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仙台家庭裁判所 昭和48年(家)259号 審判 1973年10月01日

申立人 水谷庄次(仮名)

相手方 水谷登志男(仮名)

主文

本件申立を却下する。

理由

一  申立人は「相手方が申立人の推定相続人であることを廃除する」旨の審判を求め、その申立理由は、別紙申立書の「申立の実情」記載のとおりであるが、「相手方がつねに家を出て行く、とか百姓はしたくないなどと言い、酒を飲んで来て夜など寝られたものでなかつたこと、又家庭裁判所に申立人を訴えたりして親不孝であるから申立人は相手方にその財産を相続させたくない」というのである。

二  本件記録添付の関係戸籍謄本、当庁昭和四七年(家イ)第三二七号親子関係調整事件記録に当事者双方の供述、当庁調査官滝沢秀雄の調査報告書を総合すると次の事実が認められる。

1  相手方は申立人とその妻マサ子との間の長男で、申立人の遺留分を有する推定相続人である。

2  申立人には相手方のほか、妻マサ子との間に長女ヒトミ、二男洋二郎、三男善三郎、三女ミヨ子、五女ヨシ子、四男幸四郎、六女ミネ子の三男四女がある(以上のほか二女ハルエ、四女モト子は既に死亡している)。

3  申立人は明治三六年二月一九日生、当六九歳で、先代金造(大正一一年九月四日死亡)を家督相続後引続き肩書地で農業を営み宅地二七五九・七六平方メートル、田八九六六平方メートル、畑五四八九平方メートルを所有している。

相手方は大正一四年八月一日生、当四八歳で、地元高等小学校卒業後相手方の許で農業に従事し、昭和一九年三月から昭和二〇年一一月まで兵役に服し、復員後も申立人の許で農業に従事した。昭和二三年一一月、水谷アキと結婚(届出は昭和二四年一二月八日)したが、昭和二四年一二月八日協議離婚し、昭和二六年四月一六日現在の妻あつ子と婚姻し、二男一女をもうけたが後記のとおり昭和四七年五月一二日まで申立人及びその妻マサ子らと同居し、農耕に従事して来たものである。現在は肩書地に住み土工等を職として生計を樹て、資産はとくにない。

4  申立人と相手方間は約一〇年位前までは表面上とくに目立つた紛争はあらわれなかつたが、家庭内では相手方の妻あつ子と申立人の妻マサ子のいわゆる嫁姑の仲がわるく(相手方の先妻も申立人妻との折合いがわるかつた)、同居していた相手方の弟妹と相手方の妻との折合いもよくなかつた。次男洋二郎は昭和三三年頃四男幸四郎は昭和三五年頃、三男善三郎は昭和三六年頃それぞれ家を出て独立し、三女ミヨ子は昭和三一年に、五女ヨシ子は昭和三八年、六女ミネ子は昭和四四年にそれぞれ結婚して申立人方を出ている。

申立人は酒嫌いであるが、相手方は酒好きで、酔払つて管をまいたり、申立人に暴言を吐くこともあつて、申立人はこの相手方の酒癖の悪いことを極度に嫌つていた。ところで昭和二三、四年頃からは、

申立人方の農業について、相手方がその妻と共に主として農耕に従事するようになつたが、相手方夫婦ともよく農耕をし百姓をきらうということはなかつた。昭和四四年一月申立人が心臓病で入院加療を受け、その頃申立人は相手方にいわゆる「しんしよう」を渡し、相手方を申立人方の経営家計責任者としたが、その際分与されたのは金五、〇〇〇円で、他に特段の資産分与等はなされなかつた。

その頃から相手方は農業後継者としての立場、将来の地位に不安と不満を抱き、申立人に農地等の財産の分与を求め、申立人がこれに応じないので性来の酒好きがさらに飲酒を重ねては申立人に管をまくということが頻繁に繰り返されるようになつた。

昭和四六年四月二五日には、飲酒暴言をはく相手方の態度に、申立人が激昂し、テレビを壊して暴れ出し、相手方夫婦が申立人の弟林武市方に逃れ、その後林武市ほか親戚の仲介で、相手方夫婦が申立人に謝罪してもどつた。(その際申立人妻マサ子は相手方夫婦が帰家することに反対であつた)。

申立人は同年同月頃、四男幸四郎に宅地一三〇・四〇平方メートルを、六女ミネ子に宅地一四七・八四平方メートルを贈与し、又同年一二月には橋沢喜好に田二八八五平方メートルを売却した。これは昭和四四年に結婚した幸四郎、ミネ子に結婚式をしてやれなかつた代りにそれぞれ宅地をやり、又田の売却は三男善三郎に家を建ててやる資金にするためとの申立人の考慮であつたが、相手方は事前にその相談も受けなかつたことから、自己に対する財産分与等申立人から配慮してもらえないまま、従前どおり農業に従事して行くことに不満を重ね、申立人に対し、飲酒の上財産名義の変更は求めて暴言を吐くことも重なり、一方林武市から申立人に相手方への財産配分方のすすめもあつたけれども、申立人は相手方の酒癖の悪さ、態度を嫌い、相手方の財産配分に応じないまま経過した。

申立人は昭和四七年一月頃から出刄包丁を布団の下に隠していたり、又こわれたビンの破片を懐中に入れていたりすることがありこれは相手方とのつかみかからんばかりのけんかがあつてからその防衛策であつた。

しかし申立人と相手方の紛争は相手方が申立人を殴る蹴る等の暴行をするに至るまでのことはなく、又申立人が上記刃物等を使用したこともなかつた。その頃、家庭内での申立人妻と相手方妻との反目の度も如わり、申立人妻は相手方妻の用意する食事に手もつけず又話もし合わない状態となり、別世帯となつている相手方の弟妹らは、非は相手方妻及び相手方の態度にあるとして相手方に反感を示し、相手方は親、同胞間に孤立するに至つた。

ここに至り相手方妻は申立人方を出たいといい出し、相手方も今更離婚も出来ずと、昭和四七年五月一二日、申立人が長女ヒトミの亡夫一四日目で、ヒトミ方に出かけて不在中、相手方は妻子と共に申立人方を出て肩書地に引移つた。その際相手方は箪笥二棹、洋服箪笥一棹、テレビ、冷蔵庫各一台、布団家族用外客用一組、耕運機、脱穀機各一台、小型トラック一台、玄米二〇俵、炊事道具等及び相手方が保管している申立人名義の仙台市農業協同組合○○支所への預金通帳及び印鑑(預金内容について申立人は不詳)を持つて出た。申立人方には上記以外の従来から申立人方にある物及び二番米三俵位が残されたが、右申立人方に残された米が鳥の飼料用の屑米であつた(申立人の主張)か、普通米(相手方の主張)であつたかは当事者外の者の調査によつても判然としない。

その後申立人方の農事はそのまま放置されたが、申立人及びその妻マサ子は田の売却金を資に、従来通り肩書地で生活している。その後同年六月一六日、相手方は当庁に申立人との間の親子関係調整を求める調停を申立て、相手方の今後の生活方法等について申立人に考慮を求めたが、一方申立人においては、同年七月一九日、本件相続人廃除調停を申立てるに至つた。

両事件の調停中、一時は条件によつて双方同居する方向での解決を図ろうとする意向も出た模様であるが、結局相手方の前記別居行動に関する双方及び親族間の感情的対立は解けず、調停はすべて不調に帰したものであつた。

三  以上の事実よりみると、申立人相手方間の親子共同生活上、相手方においては、申立人の嫌悪する飲酒暴言等の行動を自制し、円満な共同生活を企図すべきであるのに、それをしないままで申立人に財産の配分を求め、これが容易に達せられないまま、昭和四七年五月一二日、家財、農機具、米等持つて、一方的に申立人方から別居したことは、従来の農業後継者と目される立場にある者として、又老齢にある申立人ら父母を同居扶養している子の立場として不穏当であり、むしろ爾前にこそ、別居にしろ同居にしろその条件等についても調停等により双方最善の方途を検討解決を図るべきであつたと思われる。

しかし、上記別居時、申立人その妻ともに病床にある等の監護を要する状態にあつたとは認められないし、又相手方及びその妻子が申立人方を去つたあと、申立人夫婦は日常生活上とくに困窮をきたしたともみられず、通常の生活を継続していたところよりすれば、相手方の上記別居、及びその際の物品持出行為をもつて申立人を悪意をもつて遺棄したものとは認め難い。又、相手方が申立人に対し飲酒の上暴言を吐き、つかみかからんばかりのけんかをしたことは認められるけれども、申立人のいうような財産分与の強要、殴る、蹴るの暴行を申立人に加えた事実は認められない。(結局相手方は財産の配分を得ないで申立人方を去るに至つている)。又相手方の申立人に対する家庭裁判所への調停申立は、申立人を訴え出たという性質のものでなくて、むしろ親子間での和解不可能な事態を調停機関の干与によつて円満解決に導こうとするものとみられ、親に対する侮辱行為とみることは出来ない。

相手方としても前記のとおり子として穏当を欠く行動があつたことは責めらるべきところであるが、申立人としても、相手方が農家の長男として営々二〇有余年間、申立人及びその家族と同居して農耕労働に従事したこと、とくに報酬、資産を受けることなしに現在に至り、同胞七人の中の一人として均分相続制度下の今日、農業後継者としての将来の基盤-農地-等の帰属について、期待と不安を強くしていること等、相手方の立場につき親としての配慮を欠いていたこと、これがひいては相手方の暴言、別居行動の一因となつたものとも見られ、相手方のみを親不孝をもつて難じ、相手方の、申立人に対する二〇有余年間の寄与を全く配慮しないままで、相手方を相続財産承継者として不相応と断ずるのは酷である。

以上要するに、相手方に民法第八九二条にいわゆる「申立人に対する虐待、重大なる侮辱、又はその他著しい非行」があつたものとは認め難い。

よつて本件申立は理由がないから主文のとおり審判する。

(家事審判官 鎌田千恵子)

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